チラ裏

適当に色々

記憶力の話

 私は記憶力がかなり悪い。瞬間的な記憶力は程々にある為に英単語の小テストなどは朝に少し単語帳を見れば何となくで出来るのだが、人間関係だとそういかなくなる。

 高校生という建前上、どうしてもクラスメイトと話す機会はある。ただ、その時にどうしても名前を思い出すことが出来ないのである。中学生の頃はそんなじゃなかった、と思うと同時に、環境が変わったことによって自分の対人記憶のなさが浮き彫りになっただけだと自覚するのだ。

 

 小学生や中学生の時のクラスメイトの名前を覚えているのは、彼ら彼女らが胸に名札を付けていたからだ。中学生の時は苗字しか無かったものの、教室の後ろに名簿が貼ってあったので、それと名札を見比べて「この人はこういう名前なのか」と確認することが出来たのだ。

 しかし高校生になると名札なんてものはなく、名簿も教師が見る用のものしかない。これにより、私はクラスメイトの名前を覚えることすら困難になってしまったのだ。

 一緒に修学旅行へ行って同じ班になった彼女らも、顔は分かるが名前は分からない。名前が分からないまま話すのも日常茶飯事である。

 最近一番衝撃を受けた事柄は、私が落とした消しゴムを拾ってくれた男子を見た時、顔も名前も分からなかったことだった。きっと私は他のクラスの人間と同じクラスの人間をごちゃ混ぜにして「この中のどれがお前のクラスの人間が」と問われたら答えることは出来ないだろうと確信した。それは二月の話である。

 

 これは切実な悩みであり、私自身どうにかしたいと思ってはいるのだが友人には「有り得ない」と一刀両断されてしまい途方に暮れている日々だ。どうしてなのかと友人と話していると友人は「その人達に興味が無いからじゃない?」とも言ってきた。それはそうだと思う。

 何ならそれは人間関係だけでなく学習面にも分かりやすいほどはっきり出ていて、本が好きな根っからのオタクな私はどう足掻いても文系にしかなれない。数学や理系科目はまるっきりである。

 ただ、人間興味が無いことに対して興味を持てるかと聞かれたならば、答えはノーになるだろう。興味が無いことには、どう足掻いても興味を持つことは出来ない。

 

 だから、私は人に興味を持つまで人のことを覚えることすら難しいのだという結論に至るしか無くなってしまうし、その解決方法は現実的に難しいものばかりである。だから私はいつも通り開き直って、名前も知らないクラスメイトと雑談に勤しむことになるのだった。