チラ裏

適当に色々

好き嫌いの話

 私は基本的に誰とでも仲良くはなれる。仲良くという定義を「話せる」ということに置けば私は基本どんな人間でも仲良くはなれる。

 しかし私にも好き嫌いはある。だがそれが本当に「好き」と「嫌い」に分けられているのか、最近よく分からなくなってきてしまった。

 確かに、嫌いな人間というのは居るものだと思う。しかし私が嫌いだと思っている人間とも普通に話すことはできる。ただ一部分が嫌いなだけでその人間の全体を嫌いだと判断してしまっているのだ。簡単に言えば、「嫌いだと思い込んでいる」というようなことだろうか。

 よくよく考えてみれば、好きな人間にも嫌いなところはある。そうなれば私は本当にその人間のことが好きなのか?と疑問を抱えることになってしまう。難しく考えすぎだと思われるかもしれないが、私にとってはそこそこに大事なことだと思っている。

 

 このことについて思ったのは、私はやはりあまり人に興味が無いのでは無いかということである。確かに人の創り出すものに対して好き嫌いはあるものの、人自体に対してはそんなに考えることは無い。自分の人生なのだから自分以外は関係無いというスタンスで生きてはいるが、それが影響を及ぼしているのだろうか。

 こう考えてみると、私は好きと思い込んでいる人間にも、嫌いだと思い込んでいる人間にも分け隔てなく笑顔で話してしまうし、それは別に機嫌取りのつもりもない。ただ話すことが楽しいから話すのだ。話す人が面白いからではなく、人の話が面白いからだと思う。その人自体にそんなに価値は感じていない。

 

 価値を感じている事柄は、楽しいと思う何かと、自分の生のみな気がする。厨二病と言われても良いけれど、これは昔から変わらない私の思いなのかもしれない。自分可愛さだけで生きているために、自分を楽しませるコンテンツとしてしか他人を見ていないのかもしれない。それはそれとしてしまっている自分に対して、別に薄情だとも思わない。当然のことである。

 

 もう少し書きたい欲求はあるものの、残念ながらバイトなのでまた気が向いた時に書くだろう。何を書くかは決めていないが。